[51] 仏教思想のゼロポイント──「悟り」とは何か/魚川祐司(新潮社)
これは、著者がミャンマーの瞑想センターに訪れた時に、そこに長期滞在していた日本人僧侶から言われた言葉だそうです。
ミャンマーといえばテーラワーダ仏教(上座仏教)として知られており、釈迦の直接の言葉を記録したといわれる最古の経典をもとに、その教えを忠実に守って実践している所です。ここには、瞑想の実践を行なうことによって、頭がよくなったり、人間関係がうまくいくといった「実生活に役に立つ」ことを求めて来る人も多いそうです。もちろん、そうした動機から瞑想を実践することは別に悪いことではありません。
しかし著者によれば、釈迦の教えを直接記録したといわれる『スッタニパータ』や『ダンマパダ』を、余計な先入見を排して素直に読めば、釈迦が直接伝えたという瞑想が「実生活に役に立つ」ものとは、かけ離れたものであると言っています。
それでは、釈迦が目指したものとは、どんなものだったのでしょうか。『スッタニパータ』には、修行者に対して次のような実践が求められると述べています。
「解脱・涅槃を一途に希求する者(出家者)たちに対しては、農業であれ商取引であれ、あらゆる労働生産の行為は禁じられる。また、異性に対するおよそあらゆる欲望や思慕の情が、徹底的に否定される。現代風にわかりやすく表現すれば、要するに修行者たちに対して『異性とは目も合わせないニートとなれ』と求めているわけである」
現代の日本人から見れば、とても「人間として正しく生きる道」であるとは考えにくいだろう。つまり、ゴータマ・ブッダの教えというのは、世の流れに真正面から『逆流』することを説くものであるといえます。
では、そのような「世の流れに逆らう」実践を行なってまで、彼ら修行者が目指したことは何だったのか。
「ゴータマ・ブッダの教えに従って渇愛を滅尽した修行者は、この世と彼の世をともに捨て去る。この『この世と彼の世をともに捨て去った』境地、すなわち解脱・涅槃の風光こそ、時代や地域がいかに異なろうとも変わらない、仏教の普遍的な価値であるはずであり、それがいかなるものであるかを探求することこそが、仏教理解の、まさにアルファでありオメガであるはずだ」
次に残る問題は、そのような無為の涅槃の覚知が実際に起こるのかどうかということになるだろう。そのことについて著者は、次のように述べています。
「これについてはテーラワーダの瞑想センターで、上座部圏のみならず、世界中から集まった実践者が、『経典のとおりの実践を行なったら、経典のとおりの結果が出ました』と報告している。仏教が2,500年のあいだ存続してきたことを考慮に入れた場合、そのテクストの言葉を無理に『比喩』だと理解しようとするのではなく、『書いてあることを、書いてあるように実践したら、書いてあるとおりのことが起こりました』と率直に報告する人々の証言を重視して解釈することは、十分に『現実的』であり『合理的』なことだと私は思う」
では実践によって悟った後に覚者は、この世界をどのように見ているのか? なぜ彼は解脱の「楽」を独り味わうことに安住せずに、再び「物語の世界」(世間)への介入、つまり衆生に対する仏教の宣布をはじめたのか。興味深いことなので、少し長くなりますが引用させていただきます。
「ならば、彼らは人生の残りをどのように過ごすのか。渇愛を滅尽し解脱に至った者たちは、存在することを『ただ楽しむ』のである。それはもちろん、『欲望の対象を楽しみ、欲望の対象にふけり、欲望の対象を喜ぶ』ような、執着によって得られる『楽しみ』ではなく、むしろそこからは完全に離れ、誰のものでもなくなった(公共物としての)現象を観照することによってはじめて知られる『最高の楽 paramam sukham』と言うべきものだ。対象への執着がなく、利益が得られるわけでもなく、必要が満たされるわけでもないが、『ただ楽しい』。そのようなあり方のことを、『遊び』と呼ぶことは許されるだろう。
したがって、彼らの一部が利他行の実践へと踏み出すのも、もちろん『遊び』ということになる。彼らは『必要』だからそれをするわけではないし、『意味がある』からそれをするわけでもない。ただ、眼前の『衆生』と呼ばれる現象は、それが本来『公共物』であることに気づかずに、『それは私のものであり、それは私であって、それは私の我である』と考えて『世界』を形成し、自縄自縛の苦しみに陥っている。解脱者たちも、かつては凡夫であったがゆえに、それが彼らにとって『事実』であり『現実』の苦として作用していることをよく知っているから、それを『ただ助ける』ことにするのである」
そのように『遊び』として『ただ助ける』ということが、捨の態度を根底に有しながら慈・悲・喜の実践を行なうということの内実なのであり、著者は、それがいわゆる『優しさ』と『慈悲』の違いであると述べています。
私はこれまでに仏教の解説書や入門書を数多く読んできました。しかし、この本のようにストレートに「仏教は何を目指しているのか」「悟るとはどういうことか」「悟った後はどうなるのか」などについて知識としてではなく、腑に落ちるようにシンプルに問いかけた本は少ないように思います。私のように、いまだに欲がつくり出す「物語の世界」で盲目的に生活している凡夫にとっては新鮮な内容ばかりでした。
【おすすめ度 ★★】(5つ星評価)
●書評 精神世界の本ベスト100に戻る
関連ページ
- [1] エンデの遺言/河邑厚徳+グループ現代
- [2] 「原因」と「結果」の法則/ジェームズ・アレン
- [3] 富を「引き寄せる」科学的法則」/ウォレス・ワトルズ
- [4] 流れとかたち/エイドリアン・ベジャン
- [5] 唯識十章/多川 俊映─
- [6] 2045年問題/松田卓也
- [7] トランスパーソナルとは何か/吉福伸逸
- [8] 一流人たちの感性が教えてくれた「ゾーン」の法則/志岐 幸子
- [9] ザ・マスター・キー/チャールズ・ハアネル
- [10] 禅と食/枡野 俊明
- [11] プロセス指向心理学/アーノルド・ミンデル
- [12] ルーフ・オブ・ヘブン/エベン・アレキサンダー
- [13] 異次元は存在する/リサ・ランドール
- [14] ザ・シークレット/ロンダ・バーン
- [15] 宇宙瞑想/横尾忠則対談集
- [16] アップデートする仏教/山下良道、藤田一照
- [17] ザ・ゲート/エリック・パール
- [18] 100万回生きたねこ/佐野洋子
- [19] 神様のホテル/ビクトリア・スウィート
- [20] 風邪の効用/野口晴哉
- [21] わら一本の革命/福岡正信
- [22] ネイティブ・マインド/北山耕平
- [23]生きる。死ぬ。/土橋重隆、玄侑宗久
- [24] あわいの力/安田 登
- [25] 里山資本主義/藻谷 浩介
- [26]しらずしらず/ムロディナウ
- [27] すべては宇宙の采配/木村 秋則
- [28] 奇跡の脳/ジル・ボルト・テイラー
- [29] 祈る心は、治る力/ラリー・ドッシー
- [30] 脳の神話が崩れるとき/M・ボーリガード
- [31] なぜ、これを「信じる」とうまくいくのか/マシュー・ハトソン
- [32] 超常現象 科学者たちの挑戦/NHK取材班
- [33] 皮膚という「脳」/山口 創
- [34] 魚は痛みを感じるか?/ヴィクトリア・ブレイスウェイト
- [35] 食品の裏側──みんな大好きな食品添加物/阿部 司(東洋経済)
- [36] 「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み/木内鶴彦(晋遊舎)
- [37] かもめのジョナサン完成版/リチャード バック(新潮社)
- [38] 「ビジネスゲーム」から自由になる法/R・シャインフェルド(VOICE)
- [39] 思考のすごい力/ブルース・リプトン(PHP研究所)
- [40] 脳科学は人格を変えられるか?/エレーヌ・フォックス(文藝春秋)
- [41] がんが消えた──ある自然治癒の記録/寺山心一翁(日本教文社)
- [42] 体の知性を取り戻す/尹 雄大(講談社現代新書)
- [43] 宇宙のパワーと自由にアクセスする方法/ディーパック・チョプラ(フォレスト出版)
- [44] 腰痛は怒りである──痛みと心の不思議な関係/長谷川淳史(春秋社)
- [45] 野生の体を取り戻せ!/ジョン J・レイティ、リチャード・マニング(NHK出版)
- [46] がんが自然に治る生き方/ケリー・ターナー(プレジデント社)
- [47] 打てば響く/竹村文近、大友良英(NHK出版)──音の力、鍼の力
- [48] 病は心で治す──健康と心をめぐる驚くべき真実/リサ・ランキン(河出書房新社)
- [49] フューチャー・オブ・マインド──心の未来を科学する/ミチオ・カク(NHK出版)
- [50] 目の見えない人は世界をどう見ているのか/伊藤亜紗(光文社新書)
- [52] 世界の中にありながら世界に属さない/吉福伸逸(サンガ)
- [53] ONE──「1つになる」ということ/加藤秀視(徳間書店)
- [54] 食べない人たち──「不食」が人を健康にする/秋山佳胤、森美智代、山田鷹夫(マキノ出版)
- [55] 体をみれば心がわかる──ボディートークの世界/増田明(創元社)
- [56] 植物は〈知性〉をもっている/S・マンクーゾ、A・ヴィオラ(NHK出版)
- [57] 無意識の整え方/前野隆司(ワニ・プラス)
- [58] 悲しみの秘義──悲しみを通じてしか見えてこないものがある/若松英輔(ナナロク社)
- [59]ゴースト・ボーイ──10年の植物状態から目覚めた少年/M・ピストリウス(PHP)
- [60] 第七感──運命を変える不思議な力/さだじぃ(晋遊舎)
- [61] 無病法/ルイジ・コルナロ──102歳を生きた偉大なルネサンス人の食生活と教訓
- [62] インターネットの次に来るもの/ケヴィン・ケリー(NHK出版)
- [63] あなたの体は9割が細菌──微生物の生態系が崩れはじめた/アランナ・コイン(河出書房新社)
- [64] ただ生きていく、それだけで素晴らしい/五木寛之 (PHP研究所)
- [65]胎児の世界──人類の生命記憶/三木成夫(中公新書)
- [66] 細胞から若返るテロメア・エフェクト/エリザベス・ブラックバーン(NHK出版)